滝井通信

文質彬彬として

2022.06.16

 みなさん、おはようございます。校長の松下です。
 さて、昨日は「ノー制服デー」でした。みなさん、普段の制服ではなく、思い思いの服装で登校し、学校で一日を送りました。どうでしたか?みなさん。
 いつも見ている友達の別の一面に気づいたり、普段はあまり話すことが無い子と話せたなんてこともあったのではないでしょうか。
 「ノー制服デー」ももう初めてではなく、毎年の恒例行事になってきましたが、普段と違う雰囲気で過ごす一日は、また格別なものであったと思います。
 

 ところで、どういう服を着るか、またそれをどのように着こなすかということも、みなさんの個性を彩る重要な要素です。まさに「自分自身のブランディング」とも言えるかもしれません。プライベートな時間では、自分の好きなファッションを存分に楽しめばいいと思います。
 ただし、服装というものはTPO(時・場所・場面)をわきまえる必要があります。これは「ファッション」と「装い」の違いにもつながります。
 「ファッション」は、自分が着たい服を着ること、ある意味、“自己満足”の追求です。一方、「装い」はそのTPOにふさわしい服装をし、身なりを整え、相手に好印象を持ってもらえるよう努める必要があります。
 みなさんであれば、学校に来るときは、制服を正しく着こなすのがカッコいいのであり、着崩すのはダサイだけで、その人の印象も悪くなってしまいます。
 逆に、みなさんも周りの大人を見ていればよく分かるでしょう。そんなに頻繁に話す人でなかったとしても、見た目にいつもピシッとしていて好印象を持つ人と、何かいつもだらしないなぁと、印象の悪い人がいませんか?
 このように、「装い」は人と交流し、社会生活を送っていく中でとても重要なものでもあります。しかしながら、見た目が好印象な人は、きちんとした服装をしているというだけで、そう感じるのでしょうか?

 ここから一つ、国語の勉強です。孔子の『論語』にこのような一節があります。
 『質、文に勝てば即ち野なり。文、質に勝てば即ち史なり。文質彬彬(ひんぴん)として、然る後に君子なり。』
 質は生まれつき持っている資質や素質のこと。文は容姿や態度のこと。つまり、質は内面、文は外見・立ち居振る舞いのことです。
 「質、文に勝てば即ち野なり」。これは、人は内面が外見に勝っていると粗野な感じになるということ。「文、質に勝てば即ち史なり」。これは逆に、外見が内面に勝っていると表面ばかりを飾り立てていることになると言っています。
 「文質彬彬(ひんぴん)として、然る後に君子なり」。彬彬(ひんぴん)とはバランスが取れているというような意味です。内面と外見が見事に調和しているのが、一番望まれる姿ですよ、ということです。
 
 質と文のバランスがとれていることは確かに理想ですが、実際には難しいことです。日本人は「中身で勝負」と考えがちです。少々外見は見劣りしても人柄や能力が優れていればよし、と判断するわけです。
 どちらが重要かといえば、質、つまり中身の充実が優先されるのはもちろんですが、孔子はあくまで豊かな内面ときちんとした外見の両方が大事と言ったのです。
 

 ではきちんとした外見とはどういったことか?
 服装を華美にする必要はありませんが、私たちは身なりや立ち居振る舞い、言葉づかいから、その人を判断します。第一印象は視覚的なものから決まります。中身の充実は外見にあらわれなければいけないわけです。
 人の行動には内面があらわれます。例えば、教室で、席を立ったあと、自然に椅子を机の下にきれいに収める人と出しっぱなしで帰ってしまう人。全員が出て行ったあとに、乱れた机の列を直す人。人の行動はさまざまですが、心が通っているのか、いなのか、すぐに分かります。
 見た目にピシッとして好印象を受ける人は、きちんとした「装い」をしているのと同時に、その人の持つ内面の良きところが自然とにじみ出ているので、我々は好印象を持つのです。人にはそれを感じる感性があるのです。

 みなさん、滝井の教育方針は何だったでしょうか?「凛とした美しい人づくり」です。今日の話は、まさにこの教育方針にも通じることだと思います。
 豊かな内面ときちんとした外見をバランスよく調和させる。みなさんが、文質彬彬として、凛とした美しい人に成長していってほしい、そう思って今日の話をしました。
 みなさん、ぜひ今日以降の生活の中で、意識して、行動していってもらえたらと思います。
 
 それでは、本日の私の話は以上です。どうもありがとうございました。