撫子の花

学園に設置された女子大学から幼稚園までの校名に「帝国」の名を冠していた頃は、入学式、卒業式で校歌斉唱といえば「撫子(なでしこ)の花」でありました。本学園を巣立った卒業生には、淡い青春時代の想い出として「なでしこ」が深く記憶に刻まれています。なでしこは、1929(昭和4)年に学園母体となった帝国高等女学校の精神として謳われ、学章、校旗にもなり、校歌も歌詞の最後は撫子の花で結ばれています。
創設された頃から教員として学園の発展を見守ってきた今は亡き森川以都先生が、滝井高の「紀要」(1979年刊)に寄稿した原稿にも、その「なでしこ」への思いが綴られていいます。一文を紹介いたします。

 女学生が創設された頃、校庭にはなでしこが色美しく咲いていて、生徒の一人一人が花に深い愛情を注いでいました。学園の象徴として、長い年月親しんできた撫子の花に寄せる思いを綴ってみようと思います。いま、その頃の校舎の周辺を想い起こす縁として、美術部員によって作成された「植物図譜」に寄せた拙文を引用してみました。


「なでしこに寄せて」
 いま、思い浮かぶままに、本校創立の往時を顧みると、おおよそ半世紀前の校舎の周囲には田んぼがあり、校庭に続く南側は、生徒が実習するための田畑となっていた。そこには、色とりどりに花が咲き、撫子は幾種類も植えられていた。主事であった砂(まさご)明治先生は、撫子を「校花」として定められ、とりわけ河原撫子の可憐さを愛しておられた。(略)

今は、大阪国際グループとして成長し、校章も撫子の花のデザインから「OIU」と変わってはいますが、撫子の精神、「明るい心」「清き心」「直き心」「優しい心」「強き心」は、これからも大事に受け継いでいきたいものでああります。

校歌

「滝井高校校歌」 作詞 栗山直扶 作曲 岡野貞一


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