校舎の歴史
開校当初
昭和4年、帝国女子薬学専門学校の姉妹校として、帝国高等女学校が設立されました。
開校当時の校舎です。昭和4年、3学級125名の生徒でスタートしました。
校門前に架けられた「なでしこ橋」。全校生徒が登下校時にこの橋を渡りました。
戦後再建期
昭和21年4月、戦後の新学制の発足により、帝国高等女学校は、昭和22年4月に帝国学園中学校、昭和23年4月に帝国女子高等学校として、新たな第一歩を踏み出すことになりました。
昭和20年代後半の頃の校舎
新しくなった校門
校舎の近代化
昭和30年代に入ると従来の木造校舎の老朽化が目立つようになりました。これを鉄筋の校舎として増改築するため、昭和31年から33年にかけて大規模な工事が行われました。
改築前の校舎
昭和32年撮影
中央館・西館の完成
講堂での竣工式
昭和30年代後半
当時は、内環状道路が整備されておらず、校地は現在の内環状道路の向こうまで広がっていました。
昭和30年代後半の校舎平面図
昭和30年代当時の学校周辺
内環状道路の整備と校舎の建替・増築(昭和40年代)
昭和41年、都市計画によりうち環状道路の整備に伴い、校地の西南部が大きく切り取られました。校地の縮小とともに建物の立体化が必須となり、昭和42年3月には多くの校舎の増改築が完了しました。
校舎の一部が内環状道路に
鉄筋4階建に建て替えられた本館
体育館棟の新築(昭和60年)
昭和60年3月に鉄筋4階だての体育館棟が新設されました。
体育館
屋上テニスコート
屋上ということで日射によるコートの劣化が激しく、近年では全く活用されることがなくなりました。
平成以降
30クラス、1400名あまりの生徒による校庭での全校集会(平成元年度卒業生41期生の卒業アルバムより)