滝井通信

やりたいことがまだ見つからない人がやるべきこと

2022.12.01

 みなさん、おはようございます。校長の松下です。

 さて、暦はもう12月、2022年もいよいよ最後の月となりました。期末考査も始まりますが、勉強面でもぜひいい形で今年を終われるよう、みなさん頑張ってください。

 さて、みなさんが学校生活を送る中で悩むことは色々あると思いますが、その中でも“進路”のことは一番大きな悩みの一つかもしれません。3年生は、その進路に向けて各自が努力しているさ中ですし、2年生はいよいよこれから、その目標を定めていく時期です。
 進路を考える上で、将来やりたいことが決まっている人は、あまり悩むことはないかもしれません。自分の夢ややりたいことを実現するために、必要な進学先や就職先を決め、そこに進めるよう勉強や努力をしていけばいいわけです。
 しかし悩ましいのは、自分のやりたいことがまだ決まっていない人です。
 どうですか?2年生の中には、そういう人がまだ多いかもしれませんね。3年生にも、内部進学の面接をした際に、「大学に行ってから、自分のやりたいことを探します」と言っている人が結構いました。
 高校を卒業する時点で、自分の将来の進む道がはっきりと定まっていることは、とても素晴らしいことです。では、未だ悩み中、自分が何をしたいのか分からないということがいけないことなのかと言うと、私は決してそうは思いません。しかし、気持ちの持ちようと心構え次第でもあると思います。
 今日はそんな話を、私の経験談もふまえて、みなさんにお話ししてみたいと思います。


 さて、私、松下寛伸ですが、みなさんからはどのように見えているのでしょうか?
 「ちゃんとしてる」みたいに見てもらっているんでしょうか?「The 校長先生」っていう感じ?

 実は、そういう私も、高校生の時には、自分のやりたいことがまだ見つかっていませんでした。高校どころか、大学を卒業する間際までそうでした。
 大学4年生になって、就活の時期が来ました。はて?自分は何に興味があるのだろう?
 私は子供の頃からテレビっ子だったので、テレビ局とか面白そうだ、そう思ってまずテレビ局を受けました。テレビ局ならとにかく何でもと思って、アナウンサー試験も受けたりしました。
 フジテレビとTBSを受けたんですが、TBSは書類審査が通って、面接試験に進みました。面接官はアナウンサーの三雲孝江さん(現在は、情報7Days ニュースキャスターのコメンテーターなど)でしたが、面接でお題に出された早口言葉が言えずに落とされました。。
 その面接試験を通じて思ったことですが、一緒に試験を受けていた他の学生が皆すごくクリエイティブな人たちばかりで、自分が好きなことが必ずしも自分に適正があるということではないんだなあ、と痛感しました。

 その次に考えたのは、建設業界でした。
 私は、街にある超高層ビルや明石海峡大橋などの巨大構築物を見ると、「よくこんなものを作れるなあ」「人間ってすごいなあ」とロマンを感じていました。“地図に残る仕事”なんていう建設会社の広告がありますが、まさにそんな仕事がしたいなと思ったんです。
 しかし、実際に建設会社を回って思ったのは、やはり作る方の技術者が花形で、この業界に感じたロマンを、文系である自分が実現していくには限界があるなあと感じました。

 そして、最後にたどり着いたのが、銀行員でした。
 私が大学生の頃はいわゆる“バブル時代”です。当時を振り返ると、社会的には色々と問題もあった時代だとは思いますが、経済は右肩上がりで、日本の社会全体が大きく飛躍しようとしている時代でした。
 銀行の仕事は、金融(お金)を通じて、様々な業種・職種そして大企業から中小企業・個人事業者まで広くその成長を支え、社会に貢献できる仕事です。この仕事であれば、自分の力を発揮して人の役に立てるはず、そう思って銀行員になりました。

 そんな、なかなか自分のやりたいことが見つけられなかった私ですが、一つだけこだわってやり続けたことで誇れることがあります。それは、「目の前のことを一生懸命やる」ということです。

 前回の合同朝礼の「学校で学ぶべきこと、学校でしか身につけられないこと」の話の中でも、みなさんに話をしたことの一つです。
 私は高校時代、自分が何者なのかがまだよく分かっていませんでしたが、勉強もクラブ活動も行事も一生懸命やっていました。
 大学に進学する時でさえも、やりたいことはまだよく分かっていなかったけれども、「東京に行く」「この大学に行く」という目標だけはあって、それを実現するために、胸を張れるくらい受験勉強もしました。
 銀行員になってからも、銀行の中には色々な部署や職種があって、自分が何に向いているのか、何をやるべきなのか判断できずに悩んでいました。
 当時は、入社してから数年は下積み期間という考えがまだまだあり、単純作業や事務作業をすることも多く、同期の何割かはそれに嫌気をさして早々に辞めていきました。でも私は、自分が何に向いているのか、何をすべきか分からないなら、目の前の仕事を一生懸命やろうと思って頑張りました。

 当時の銀行の新入社員には、お客さんのところを集金して回るという何の独創性も無い仕事がありました。
 今時の会社のオフィスは、入口に電話が一台置いてあって、中の様子がうかがい知れないというところがほとんどですが、昔は会社に入ったら何のついたても無く、中まで見通せるところがほとんどでした。
 私は集金に行っているだけではあるけれど、どこに行っても必ず社長さんに挨拶しようと決めてそれを続けていました。
 最初の頃は、図々しく中まで入ってきて、若造が社長に直接話しかけるとは何だと、あまりよく思われていない風でしたが、毎回続けているとみなさん快く挨拶していただけるようになってきました。
 そんなある時、支店長に呼ばれました。「何か怒られるのかな」とビクビクしながら行くと、逆にほめられたんです。
 「今日お客さんのところに行ったら、社長がお前のことほめてたぞ。他の銀行の担当者は経理担当者のところに来て、用事が済んだらさっさと帰っていくけど、おたくの新入社員はいつもまず俺のところに挨拶に来る。誠に感心と仰ってた」と。
 それから少し経って、初めて担当先を持たせてもらえるようになり、他の同期よりも早く、営業マンデビューを果たすことができました。

 その数年後の話です。平社員から主任への昇格試験のタイミングが来ました。
 銀行業務に関連する科目2科目で、両方とも70点以上取れば合格です。当然、同期のみんなが合格に向けて勉強するのですが、私は合格点の70点を取る勉強ではなくて、どうせやるなら一番を取ってやるとの思いで猛勉強しました。
 同期は540人いたのですが、結果は第3位でした。
 私より頭がいい人は他に山ほどいたはずですが、勉強をする目標の定め方の違いから生じた結果であったと思います。
 この結果は、私にまた新たな展望を開いてくれました。日本を代表するような大企業を担当する部署に異動することができたのです。そこでは、新聞に載るような仕事も幾つかできましたし、そうした実績もあり、その後は支店長も3回やらせてもらいました。
 銀行員はトータルで30年間やりましたが、職場ではその30年間で約5千人の仲間と一緒に仕事をしました。そしてその仕事を通じて、おそらく1万人以上の人と出会いがありました。
 日本全国津々浦々、47都道府県、色々なところを訪れましたし、海外も15ヶ国に行きました。
 苦しいことやしんどいこともたくさんありましたが、自分の人生を彩ってくれた30年でした。
 その後、この滝井高校に来たのですが、校長になった今でも私の心構えは変わりません。そして、みなさんや先生方と共に学校生活を送ることはとても楽しく、幸せに感じています。


 結局、私は社会人になった後も、これをやりたいというものを明確に持っていなかったのかもしれませんが、目の前のことを一生懸命やり続けていたら、自分がやりがいを感じ、そして自己実現ができる仕事にいつも巡り会えてきました。
 私は自分のことを運がいいと思っています。途中で困難なことがあっても、最後はうまく行く、必ず何とかなるといつも思っています。そして実際にだいたいそうなっています。そうなるように努力している自分がいるということでもありますけどね。
 チャンスはみんなに平等にあります。しかし、そのチャンスをつかむには、目の前のことを一生懸命やり続ける必要があります。チャンスはつかめないのではなくて、目の前のことを一生懸命やっていないと、チャンスが訪れている時に、そのチャンスに気付けないのです。
 私はいつも運が悪いなと思っている人、目の前のこと一生懸命やっていますか?自分に問いかけてみてください。
 

 以上、私の経験談もふまえて、自分のやりたいことがまだ見つからない人がやるべきこと、について話をしてみました。参考にしてみてください。

 それでは私の話は以上です。どうもありがとうございました。