滝井の人

才崎哲次

2022.07.04

私が教師になれたきっかけ
私は本校バレーボール部監督として長くやらせてもらっています。
私の中学生時は野球で高校に野球部がなく長身なこともありバレー部に入部しました。
監督の先生もユニークで社会の授業中浪曲を歌いながら歴史上の物語を聞かせてくれたり人生談もよくしてくれました。ただ陸上競技がご専門でバレーの技術指導があまりなく陸上トレーニングが練習の中心で、なかなか試合で勝てませんでした。そんな中バレー部OBのK先輩(当時大阪体育大学学生)がよく指導に来られるようになりました。技術指導してもらえると期待しましたが、ただひたすらにワンマンレシーブなどしごかれる内容がおおく、ハードに耐えかねて退部者が続出、私も仲間と練習前に一度脱走したことがあります。見かねた監督の先生が(バレーの技術指導をK先輩にコーチ依頼していた) 選手、K先輩、監督 三者で話し合いをもつ機会をつくられました。その時わかったことですがK先輩もご自身の大学では強豪校出身者がほとんどで弱小チーム出身とよくバカにされたそうで、母校を強くしたいという思いでやってきたと本音を明かしてくれました。先輩が自分の大学での授業、クラブで精一杯のなか母校に指導に来られていたことも知り私たちは感銘しました。やがてわれわれも三年生となり、弱小だったチームも大阪府でベスト8まで勝ち進むまで成長することが出来ました。今から思えば 私がその後大阪体育大学に進学して現在に至る人生のきっかけ(運命)と感じています。不器用でも熱意、思いで人に影響できるよう心掛けて残された時間を大切に歩みたいと思います。 以上