滝井の人

喜井 須賀

2021.04.26

 「英語を教えています」、と言うと「では、英語はペラペラなんですね」と言われることがあります。「ぺらぺら」の定義がよくわからないのですが、最近は「日常会話程度はできます」と言えるようになりました。現在の私は、過去に思い描いた自分になっているのでしょうか。
 英語との出会いは中学1年の時でした。見渡す限り海と山と空だけの高知の田舎町で生まれ育ち、いつか大きな町で暮らしたいと漠然と考えていたように思います。英語が大好きで一生懸命勉強していました。中学3年の時に、英語の先生から勧められて出場した「高松宮杯英語弁論大会」で運よく県代表に選ばれ、東京での全国大会に出場することができました。結果は予選止まりでしたが、全国から集まった仲間と一泊を過ごし、高松宮殿下・妃殿下ご臨席の晩餐会に出席という幸運にも恵まれました。英語ができたら、世界が広がると感じた出来事でした。
 その後、高校進学では迷わず「英語科」を希望しました。通学できる距離ではなかったので、親元を離れて下宿生活をしながら高校生活を送りました。英語科では毎日3時間から4時間の英語の授業があり、クラスメートの大半は英語嫌いになっていきましたが、私はどの授業も面白く感じていました。英作担当の先生がイギリス発音をしていて、英語の音の違いに出会ったのもこの頃です。
 大学は県内の女子大の文学部に進みました。卒業論文では英文学の、ジェイン・オースティン「自負と偏見」を選びました。このことが、卒業後のイギリス語学留学につながりました。担当教授に「知らない言葉に出会ったら、メモを取り、意味を調べていくといいですよ」とアドバイスを受けたことを覚えています。
 イギリスで学んだことは、「何を話すか」が大切だということでした。自国の文化もよく知らず、恥ずかしい思いをしたことが幾度となくありましたし、YESかNOかを常にはっきりと伝えることは当時の私には大変難しいことでした。しかし、この時期の会話の力が後の土台になったと思います。
 その後結婚してから、主人の留学に同行してアメリカ・ミシガン州に2年間住みました。現地で大学院に入ることを決め、TOEFLを受け、言語学の修士コースに入りました。途中で帰国しましたが、そこで勉学に励んだ2年足らずの時間が私の人生の中で一番勉強したと言える期間になりました。
 アップルの創業者、スティーブ・ジョブズが有名なスタンフォード大学の卒業式の祝辞の中で、「点と点を繋げる」という話をしています。今振り返ってみて初めて、これまで英語を通して経験したことの一つ一つが現在の私の英語の力を形作っていることがわかるのです。
 みなさんの高校生活がそれぞれの未来にどのように繋がるのでしょうか。
I wish you all the best at Takii High School!
 

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