滝井の人

下野大輔

2021.02.26

皆さん、こんにちは。1年生所属、地歴・公民科の下野大輔です。
 
早いもので、私がこの国際滝井高校に来てもうすぐ1年が経とうとしています。ひとつの年度が、あるいは学年がまもなく終わります。
皆さんにとって、この年度はどのような一年だったでしょうか。どのように振り返ることができるでしょうか。学年末考査も目前に迫っていますから、今はそれどころではないと思う方も多くいるかもしれませんが、一度ゆっくり振り返ってもらいたいと思います。決して無駄にはなりません。
 
さて、皆さんは自分自身がどのようなもので構成されているか説明することができますか?
ここでいう「構成」とは「タンパク質が~」とか「水分が~」という科学的なものではなくて、あくまで比喩です。自分自身がどのような経験をしてきて、今の自分が成り立っているかということを説明することができますか。
高校生の段階でそのようなことを説明できる方のほうが少ないかもしれません。それで構わないと思います。ただ、将来大学生や短大生、そして社会人になって世の中で活動することになると「自分はこういう人間です」、「このような経験を経てこのような人間になりました」といったことを自分のことを全く知らない、あるいはあまり知らない人に説明する機会がでてきます。いわゆる採用試験・面接試験が代表例かもしれませんが、そのような場面だけとは限りません。折に触れて、自分のことを他者に話す機会が出てきます。そのような時に、自分のことを自分のことばで語ることができるような人生をこれから歩んでください。
 
では、私は何で構成されているのか。これは明確に言い切ることが出来ます。私という人間は地歴・公民科(あるいは社会科)と剣道でできています。話は小学生の頃にまでさかのぼりますから、これ以降は社会科でいこうと思います。
社会科は小学生の頃から得意でした。そして、剣道は小学1年生の12月に始めて現在に至ります。剣道の話はまた別の機会にとして、今回は社会科のお話を。

出会いは当たり前のように小学校の授業でした。現在とは異なり、私が小学生の頃は1年生から社会科がありました。自分自身がこの教科が得意かもしれないと気が付いたのは小学4年生の時のことです。授業の中で日本の全47都道府県を覚えるというものがあったのですが、クラスで一番目か二番目に全てを覚えることが出来たのです。生徒の皆さんだけでなく、多くの方々が間違えてしまうことのある山陰の二つの県(鳥取県と島根県)と北関東の三つの県(茨城県と栃木県と群馬県)が最後の難関であったことも覚えています。
それ以降は、小学生の高学年も中学校でも高校でも社会科あるいは世界史はずっと得意でした。何やら、自慢話のようになってきましたが、別に成績がすべて良かったわけではありません。私は中学生になると、かなりいびつな成績を取るようになっていました。皆さんの中にも多くいるかもしれませんが、理数系の教科と英語に苦しめられることになるのです。そんな中で、社会(と国語)が私にとって確実に点数が取れる武器のようなものになっていきました。高校に進学出来たのも、大学に進学出来たのも社会科や世界史というものがあればこそです。そして今、地歴・公民科の教員として社会や歴史を仕事に出来ているのですから、私はたいへん幸運であると言えます。これは勉強面に限ったことではないのですが、皆さんも何か一つでも自分の武器といえるようなものを見つけて、身に着けていってほしいと思います。

ところで、私が社会科を得意であると自覚したのは、すでに述べた全47都道府県を早く覚えられたことによってでしたが、なぜ好きになったのかという理由もはっきりとわかっています。かつて、学研の「科学」と「学習」という小学生向けの学習雑誌がありました。世代的に保護者の方で覚えておられる方も多いのではないでしょうか。私が小学生低学年の頃に母がその雑誌を取ってくれていました。1987年にその「学習」で学研が出している「歴史まんが」の紹介がなされていたのです。その年に放送されていたNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の主人公である、東北の戦国大名伊達政宗の漫画が紹介されていました。私が欲しがったのか、いわゆる「学研のおばちゃん」が勧めてくれたのかはわかりませんが、母がその伊達政宗の本を買ってくれました。それが歴史との出会いです。自然な流れでその大河ドラマ「独眼竜政宗」も見ましたし、翌年の「武田信玄」も見ることになりました。現在も名優として名高い渡辺謙さんや中井貴一さんの若かりし日の姿は、小学生の男の子が見ても格好いいものでした。今に至るまで大河ドラマではいわゆる「戦国もの」の視聴率や人気が高く出る傾向にあるのですが、この二つの作品は歴代で1、2位の視聴率で評価も高いそうです。昨年から今年にかけて放送された大河ドラマ「麒麟がくる」も含めて、大河ドラマというものはあくまでエンターテインメントであり、歴史そのものではありません。記録が乏しい人物を扱うことも多いので創作(フィクション)も多分に含まれます。ただ、私のように歴史との出会いやきっかけとなっている方もたくさんいるそうで、現代の日本社会と歴史をつなぐ一定の役割を果たしていると言えるでしょう。

1987年大河ドラマ「独眼竜政宗」(NHKサイトより)
1987年大河ドラマ「独眼竜政宗」(NHKサイトより)
1988年大河ドラマ「武田信玄」(NHKサイトより)
1988年大河ドラマ「武田信玄」(NHKサイトより)

こうして、歴史と出会って、それを好きになり、得意となって、私は現在に至ります。初めは日本史から入ったわけですが、高校生の時の科目選択から世界史にも関心が広がり、大学で法学部に進学したことから政治や経済にも興味を持つことになりました。そして、現在それを仕事に出来ているのですから、繰り返しになりますが私はたいへん幸運であると言えます。
また、このように振り返ってみると、幼少期にどのようなものと出会うかということもたいへん重要なのではないかとも感じます。私の母は、私に勉強をしろと言うことはほとんどありませんでした。彼女自身も決して勉強が得意であったり熱心に取り組んできたりしたタイプではありません。ただ、幼い私にいくつかのものを与え、それが私という人間の将来を左右することになりました。私には子どもがいませんので、子育てということに多くを語ることは難しいのですが、幼い子どもに何を与え、何を見せるかは大きいことなのだろうとは感じます。一方で、同じ「科学」と「学習」を与えられたひとつ下の弟は、あまりそれらには関心を持たなかったのですから、タイプはそれぞれであるとも言えるでしょう。彼は彼で、私とはまったく違った形で活動しています。
 
さて、何もおもしろくない話を長々としてしまいましたが、言いたいことは大きく二つです。

・「自分のことを知らない誰かに自分のことを説明できるようになってほしい」
・「何か自分自身の得意なもの、好きなものをもってほしい」

といったところでしょうか。地歴・公民科なり社会科の勉強はどのように取り組めばよいのか、社会の勉強がこれからの人生にどうつながっていくのか、といったお話はまたの機会にしたいと思います。
 
それでは、まずは目の中の学年末試験を頑張りましょう!