滝井通信

「イラッとする」から学ぶべきこと

2020.12.24

 おはようございます。校長の松下です。
 突然ですが、みなさん最近「イラッとした」ことありましたか? また、みなさんはよく「イラッとする」方ですか?
 この「イラッとする」という言い回しは、「イライラする」を短縮化したものでしょうが、この10年ほどでよく使われるようになったフレーズです。ある意味で、いまの時代を象徴する言葉だと思うのですが、では何を象徴しているかというと、それは「大人の幼児化」です。
 みなさんの周りにも、いつもイライラ、不機嫌な大人はいませんか? きっとその人は、大人になり切れていない大人。みなさんは、まだ大人の一歩手前ですから、これから身に付けていかなければならないことも多いですが、大人になったなら、ちゃんとした「大人の大人」になりたいですよね。
 では、みなさんの反面教師となる、その「大人の幼児化」とはどういうことなのでしょうか?

 「大人の幼児性」の中身には以下の3つがあります。

 一つ目は、世の中に対する基本的な構えの問題です。子どもは身の回りのことがすべて自分の思い通りになるという前提で生きています。しかし、実際の世の中は自分の思い通りにならないことの方が大半です。その理不尽を乗り越えていく強さが必要です。でも、「幼児のままの大人」は、自分の思い通りにならないことに不満を募らせ、「イラッとする」のです。

 二つ目は、本来は個人それぞれの「好き嫌い」の問題を「良しあし」にすり替える、ということです。自分の「好き嫌い」にすぎないことを、勝手に物事すべての良しあしの判断基準にしてしまうため、人に妙な批判や意見を言いたくなり、「イラッとする」のです。

 三つ目は、他人のことに関心を持ちすぎる、ということです。ただし、それは人に関心があるというより、人と自分を比較することにより、自分の不満や不足感を埋め合わせているという面の方が大きいです。人の悩みはすべて比較より生じます。他人と自分を比較し、人をうらやましがるばかりの人は結果、嫉妬にさいなまされます。子供が「イラっとする」のもほとんどが嫉妬です。

 人はそれぞれ自分の価値感で生きています。人は人、自分は自分。ほとんどの場合、比較には意味がありません。しっかりとした人ほど出来合いの物差しで他人と自分を比較したりはしません。本当にすごい人は他人との差分で威張ったりしません。自分のダメなところ弱いところを自覚し、自分の強みはあくまでも条件つきで、全面的に優れているわけではないことをわきまえています。だから威張りません。
 人は、自分一人ですべてに秀でる必要はありません。世の中にはいろいろな得手不得手の人がいます。そうした人々が助け合うことで世の中は成り立っています。それが社会の良いところです。他人を気にせず自分と比べず、いいときも悪いときも自らのやるべきことと生き方にきちんと向き合う。それが大人というものです。
 みなさんもついつい「イラッと」してしまった時、その時の自分の振る舞いや人の気持ちに思いを巡らしてみるといいと思います。そうした姿勢を続けていれば、いつか大人になった時、きっと素敵な「大人の大人」になれているはずです。

 さて、今日は二学期の終業式です。コロナ禍に翻弄された2020年ももうすぐ終わります。
 今年はみなさんも「イラッとする」ことが多かったでしょう。自分の思う通りにならない世の中の理不尽さが不満で、くじけそうになったこともあったかもしれません。しかしみなさん、みなさんはその分強くなりました。命や家族、友人の大切さも学びました。また、様々なことを自分で考え、乗り越えていこうという力も身に付いていっているはずです。
 来年は少しずつでも世の中の状況が改善していって欲しいですし、そう期待したいです。今年、大人への階段を一歩上ったみなさんが、それぞれの夢や志の実現に向けて、キラキラと光り輝く一年に、来年がそうした一年となることを祈念して、今年の私の話を終わりにしたいと思います。年明けの始業式でみなさんの元気な顔を見られることを楽しみにしています。
 それではみなさん、よいお年をお迎えください。今年もどうもありがとうございました。