滝井通信

誇りを持つということ

2020.12.01

 みなさん、おはようございます。校長の松下です。
 暦は今日から12月。いよいよ今年もあとひと月となりました。今年は例年とは全く違う1年となってしまいましたが、そうした中でも、出来ること、やるべきことを悔いを残さぬようやっていきたいですね。冬本番の寒い毎日が続きますが、みなさん、学期末まで頑張っていきましょう。


 さて、前回、滝井の教育方針でもある「凛とした美しい人になる」の「凛」という漢字の意味、そして「凛とした人」とはどういう人なのか、ということについてお話しました。そこでわたしは「凛とした人」とは、自分に自信を持っている人、自分の考えをしっかりと持ち、その考えをもとに社会に貢献できる人だとみなさんに申し上げました。
 自分に自信を持っている人とは、自分に誇りを持っている人とも言えます。自分に誇りを持つということはとても大事なことですが、そもそも自分の人生を楽しんでいる人でなければ、誇りを持つことは不可能です。人は自分が本当にやりたいことをやってこそ大いなる悦びが得られ、かつ誇りを持つことができます。それはみなさんが、どちらにしようかと、行動の意思決定を迷った時、それをして誇りが持てる方を選択するということです。
 ここでいう誇りとは人に自慢することではありません。自分自身に向かって誇れることをするという意味です。人の目をごまかすことは簡単ですが、本来、自分自身にうそをつくことは不可能です。自分に言い訳といううそをついていると、決して誇りを持つことは出来ません。自分の心に素直に、自分らしい生き方をしていると誇りが持てます。
 自分に誇りを持てた人は、人に対する思いやりが自ずと出てきます。自分の悦びを大切にする人は、人の悦びも大切にしようとするからです。それが気遣いであり、優しさであり、愛というものです。
 愛は悦びの応援です。悦びの応援をしてもらった人はうれしくなりますし、同時に応援する側もうれしくなります。誇りとはそうやって手に入れるものです。「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむ」ことこそ人間本来の姿です。誇りが持てるようになると人は自然に人の幸せを願うようになります。人の幸せを応援できる人こそ「大人」と言える人です。


 みなさん、「凛とした人」とはどういう人なのか、今日お話ししたことも参考にして、みなさんなりに考えてもらえるとうれしいです。
 今日の私の話は以上です。どうもありがとうございました。