滝井通信

あなたが国語を学ぶ意味

2020.10.14

 みなさん、おはようございます。校長の松下です。
 前回、わたしの体験談として、前の職場で一緒に仕事をした新入社員の話をしました。その新入社員は英語が大好きで、みなさんと同じ女子高生時代から将来は海外で働きたいという夢を描いていたという話をしました。覚えていますか? 海外で活躍するためには英語は必要ですよね。でもそれだけでよいのでしょうか?
 日本でずっと生まれ育った人は、普段自分が日本人だと意識することはほとんどないですよね。しかし私たちが外国に行くと、自分が日本人であるということを否応なしに意識することになります。それは、周りの外国人が、「日本はどんなところか?」「日本人はこんな時にどう考えるのか?」と聞いてくるからです。みなさんは、そんな質問にはっきりと答えられる自信がありますか?
 世の中はどんどんグローバル化やボーダーレス化が進んでいます。よほどしっかりと自らのアイデンティティーを確立しておかないと、そうした世界に埋没してしまうことになります。そうならないようにするためにはどうしたらいいか。それは国語をしっかり勉強することです。国語こそが日本人としてのアイデンティティーを支えるものなのだ、今日はそういう話をします。

 人としての情緒(物事にふれて起こるさまざまな感情のこと)を養い、人格を形成するのが国語の持つ力であり、その国語は読書することで磨かれていきます。国語はみなさんの思考そのものと深く関わっています。
 言語は考えたことを表現する道具だけではなく、それを用いて考えるという面があります。人間はそれぞれが持っている語彙(ボキャブラリー)を大きくこえて考えたり感じたりすることはありません。母国語である日本語の語彙は、われわれの考える力や情緒そのものです。
 日本人にとって語彙を身に付けるには、何はともあれ漢字を覚える必要があります。日本語の語彙の半分以上は漢字だからです。漢字の力が低いと、読書をするのに苦労することになり、自然に本から遠のいてしまいます。
 読書は過去も現在もこれからも、深い知識、教養を獲得するためには、ほとんど唯一の手段です。読書は教養の土台ですが、教養は大局観の土台になります。大局観とは、ものごとを的確に判断する力のことです。みなさんが普段、将来に何の役に立つのかと思っているかもしれない、文学や芸術、歴史や思想・科学といった教養なしでは、健全な大局観を持つのはとても難しいです。

 また日本人は論理的にものを考えるのがあまり得意ではありません。現実世界はこうならこう、といったような単純なものではありません。それゆえに、何が妥当なのか、自ら考えて選ばないといけません。この選択はみなさんそれぞれの情緒が基準になります。体験を通して身に付けた情緒により、選んでいるのです。
 しかし、その情緒をたっぷり身に付けるには、実体験だけでは決定的に足りません。実体験だけでは時空をこえた世界を知ることができないからです。ですから読書に頼らざるをえません。まず国語なのです。
 高いレベルの情緒とは、教育により育まれ磨かれる情緒です。その情緒とは、他人の不幸に対する感受性や、なつかしさ、もののあわれ、勇気、誠実、正義感、慈しみの心、忍耐、礼節、名誉と恥、卑怯を憎む心、家族愛、郷土愛、祖国愛、人類愛などといったものです。こうした情緒は人間としての基本であるばかりか、国際人になるためにも不可欠です。どれか一つでも欠けていては、国際社会では一人前とは見なされません。巧みな英語力や記述よりも、そうした教養、情緒を身に付けて、自分に自信を持って堂々と振る舞うことの方が受け入れられるのです。

 今日はみなさんにとって、国語を勉強することや本を読むことの大切さ、その意味についてお話しました。いま季節は秋、読書の秋です。自分の興味のあるもので構いません。みなさんも本を読んでみましょう。そして漢字も勉強しましょうね。
 今日のわたしの話は以上です。どうもありがとうございました。